1.加山雄三



加山雄三デビュー45周年



2005年は、加山雄三さんの芸能生活45周年です。

若大将、加山さん、お兄ちゃん、船長呼びかけ方は様々だが、現在活躍中の俳優、ミュージシャン、アーティスト、映画監督などの皆さんが、加山雄三とのふれ合いや仕事の思い出を綴り、未来への期待を手紙やEメールに託した

'05年の今年、加山雄三デビュー45周年で著名人から届けられたお祝いメッセージVOL:1

第一線で活躍する著名人の「加山雄三と私」について。(文中敬称略)

加山雄三さん 芸能生活45周年 おめでとう 御座います。
加山さんの変わらぬ 御活躍感嘆して 拝見しております。
若かりし頃、キラメク加山さんに 出会えた幸せ しみじみと感じております。
これからも、元気に変わらぬお姿を 皆に、おみせ下さい。
益々の御活躍をお祈りします。
田中邦衛【青大将こと石山新次郎】

加山さんデビュー45周年おめでとうございます。
『エレキの若大将』では大変お世話になりました。あの映画と「BLACK SAND BEACH」等々の名曲で我が国エレキギター振興にも大変貢献された加山さん、これからもエレキを弾いて永遠の若大将で居続けて下さい。
寺内タケシ【ソバ屋の出前持ちの隆】

芸能生活45周年を迎えられ、おめでとうございます。
世間に一大ブームを巻き起こし、十数本もシリーズ化された映画「若大将シリーズ」で加山雄三さん、いえ田沼雄一さんの恋人役・澄ちゃんを演じさせて頂いたことは私の生涯の思い出です。
スクリーンの中では、残念ながら恋人同士のままで終わってしましましたが、つい最近TVCMで、雄一さんと澄ちゃんが熟年夫婦として久方ぶりに登場させて頂き、年が経ってやっと実が結ばれたと家族共々喜んでおります。
いついつまでも若大将のように今後益々ご活躍されます事を心よりお祈り申し上げます。
星 由里子【澄ちゃんこと澄子】

加山雄三さん45周年本当におめでとうございます。
今でも「若大将シリーズ」のファンから、「節ちゃん」と声をかけていただくことがあります。その度に、当時を懐かしく想い出すと共に「素晴らしい作品に出させていただいたんだ」という思いが強くなります。その当時未熟な私を、加山さんを始め田中邦衛さん、有島一郎さん、飯田蝶子さん・・・皆さんに助けていただきました。
初めての海外ロケも『ニュージーランドの若大将』でした。心細かった私を、英語も堪能な雄三さんに何とか面倒をみていただいき、その優しさが印象に残っています。
酒井和歌子【節ちゃんこと節子】

芸能生活45周年おめでとうございます。
私は映画『帰ってきた若大将』でご一緒させていただきました。約一ヶ月間、ニューヨークやハワイのロケでしたが、ハワイのモロカイ島では映画の撮影の後にコンサートをひかえておられるという事で、撮影が早く終わった夕ぐれ時、加山さんのステージからは、ギターと共に素敵な歌声が聞こえていました。
又日本に帰ってきて光進丸にもご招待いただき、まさに、海の男のカッコよさも目の前で実感しました。
いつまでも、変わらぬ若大将でいて下さいね。
坂口良子【皆川純子】

映画「若大将」シリーズでグァム島へロケに行った時だからもう随分昔の事だが一夜加山ちゃんの部屋で飲み、かつ話た事があった。その時彼のギターの腕と音楽センスの素晴らしさに驚嘆したことがある。その後不覚にも病に倒れたが全快祝いにと彼が二曲プレゼントしてくれたのが「おんな達への伝言」と「JAZZ BAR」だ。
そのメロディーの良さに作詞家の橋本淳さんが素晴らしい詞をつけてくださって早速レコーディングという話になってテイチクから出た。曲が良くて詞が良いんだから歌が良ければ大ヒットだったが歌手が気を入れ過ぎて駄目だった。加山ちゃん有難う、そしてゴメン!!
藤岡琢也【日東自動車営業課長】

昭和35年3月、岡本喜八監督の「大学の山賊たち」のロケで滞在していた黒菱小屋に、その年卒業した「池端直亮」君がやって来ました。お父上の上原謙さんと一緒に出演させて戴いた縁もあって、黒菱小屋の私の部屋で一緒に寝起きしたのが思い出されます。同じ昭和12年生まれで、3月生まれの私は4月生まれの彼より先輩ですが、芸能界での繋がりより、本音で話せる同窓生として、加山雄三と同じく、素晴らしい素の人間としての付き合いも大事にしたいと思っております。田沼、江口のベースを分かって頂ければ幸いです。
江原達怡【マネージャーの江口】

芸能生活45周年、おめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
昭和36年から始まった映画『大学の若大将』からテレビの「社長になった若大将」まで妹・照子を演らせて頂き、感謝しております。とても素敵な加山さんに出会え、妹として共演させて頂き、とっても幸せな東宝時代でした。年に2回の「若大将」の撮影が楽しみで、「田能久」のセットにくると自分の家に帰ってきたみたいな思いがありました。
何時お会いしても変わらないお気持ちで接してくださり、いつも温かいものを感じます。
これからは、お体を大切にされ何時までも素敵な「雄一兄さん」でいて下さい。
中 真千子【田能久の看板娘で若大将の妹の照子】

'05年の今年、加山雄三デビュー45周年で著名人から届けられたお祝いメッセージVOL:2

昨日、加山雄三デビュー45周年で著名人から届けられたお祝いメッセージをアップしましたが、ご丁寧にゲストの皆様から温かいメッセージを頂戴しました。有難うございました。
僕は、小学6年生の時に加山雄三の映画「エレキの若大将」を映画館で観てそれ以来、若大将の熱狂的なファンとなりました。そして、僕が大学4年の'75年の夏に、テアトル池袋の映画館で「若大将シリーズ」がオールナイトでリバイバル上映され、毎夜その場に大勢の大学生が集結し、上映中の画面に合わせて大合唱が巻き起こりました。
若い方々はご存知ないでしょうが、トップ・ページに表記させて頂いておりますように、日本の音楽シーンに大貢献されたミュージシャンだと僕は確信しています。
本サイトの「素敵なミュージシャン達」は、加山雄三を中心として、他の多くの素敵なミュージシャン達にもスポットを当てて運営していますが、暫く、著名人から加山雄三宛に届けられた、お祝いメッセージにお付き合い下さいますよう心からお願い致します。  本サイト管理人t-matsuより 訪問して下さったゲストの皆様へ

うぉぉぉ! 45周年っ!! スゲーっ! スゲーっ!
俺が初めてスクリーンで胸がときめいた人、加山雄三!!
俺が小学校だった頃、母は加山雄三をこう表した、『バタくさい男・・』と・・。それ以来俺はパンにバターをぬりたくり少しでも加山雄三になろうと務めた・・。
夏・・。くそっ! 夏の入道雲・・! 加山雄三はぼくにとって、あの夏の空に広がる入道雲だっ・・!
ときめく夏・・暑い夏・・。初夏の夏・・。まぶしい夏・・。キラキラ輝く夏・・。ゆれる陽炎っ!!
いくつになっても加山雄三は僕のこころのときめきだっ!  ずっとずっと大好きだっーっ!
加山雄三! 加山雄三!  何度でも加山雄三だっ!  うおぉぉ~~~!!!
竹中直人

お兄ちゃん45周年おめでとう。
私の夢は「若大将」最新作に、マドンナ役で出演すること。私の役は、スチュワーデスでローマで出会うんです。
ラストシーンは、お兄ちゃんに素敵なラヴソングを歌って欲しいなァ~。ラヴソングといえば、今でも忘れられないのは、「加山雄三ショー」で「僕の妹に」を歌ってもらったこと。人を泣かすことはあっても、めったに泣かない私がもうワンワン泣いちゃった・・。本当にお兄ちゃんがいたら、きっとこんな風に優しいんだろうな、なんて色々思わされました。私が夜中に、ちょっと酔って「遊びに行きたい」って電話しても「来いよ!」って優しく笑顔で迎えてくれる。
お兄ちゃんに会う度に、芸能界の大先輩というだけでなく、人間のスケール感をいつも感じます。さすが永遠の若大将! 不肖の妹だけどお兄ちゃんを想う気持ちは一番!
今度またお兄ちゃんの家で、素敵な歌と美味しいお酒をご馳走して下さい。
和田アキ子

「絵」を書き、「書」を書き、「船」の設計をし、「哲学」を語り、雄弁に「宇宙」を語る。美味しい「料理」を作り、「ピアノ」を弾き、「エレキ」を手にすればまるで少年のよう。
そして沢山のヒット曲。加山さんの世界は無限大。
ドキドキするような魅力を湛えた加山さん。
実は素朴な生粋の海の男でもあるのです。勉強家で行動派の加山さんはきっといつまでも御自分のその世界をどんどん広げて行くことでしょうね。すごい。
森山良子

加山と言えば、すぐに雄三と出てくる。これ、凄い!
幸せだなあと言えば、すぐに「君といつまでも」が出てくる。凄い!
やたら格好よくて、でもスゲエ親しみやすくて、なにしろすべてが自然体で。GUITARを弾いて、唄ったかと思ったら、オーケストラをバックにPIANOを何気なく弾いて、ちょっと大人しいなと思ったら、絵を描いて展覧会。なんでも出来て、それが又、半端じゃなく凄い。
でも一番凄いのは、そんな加山さんのことを、みんなが知っていることだ。
中村雅俊

私がアメリカに移住してから早30年、私にも加山氏にも孫がいます。二人とも歴としたおじいちゃんですが、私にとって加山氏はいつまで経っても従兄弟の"キョランタ"です。私が小学校5年の時、キョランタのデビュー映画「男対男」を観て、かっこいいなぁ・・と思ったのを今でもはっきり覚えています。
そんな格好いいキョランタとバンドを組んだ頃、私は高校生で日本にはまだオリジナルのポップスやロックが殆ど無い時代でした。そんな中で画期的な革命を興したのがキョランタです。今の若い人達には知られていませんが、彼の偉大なる足跡なしでは今の日本のポップス界は存在し得ません。世界市場ではビートルズですが日本市場では加山雄三というアーティストが歴史を塗り変えたと言えます。
不滅の偉人"キョランタ"にエールを送ります。!!!
喜多嶋 修【ザ・ランチャーズのLgで加山雄三の従兄弟】

加山さんと言えば、撮影の合間などに描いていた船の設計図、センスのいいピアノ演奏などが印象的です。
不思議な御縁あって、そんな彼とは、親戚同士になりました。
一度アメリカにある彼の別荘を訪れた時、横文字の道路標識を見ながら池端家を探していたら、いきなり"キョランタンチ!"と書かれた大きな伊達看板が目に飛び込んで来て、主人と「うわ~っ最高!」と感激したことがあります。
いつまでも若々しくチャーミングな心のキョランタ様、益々とびきりカッコイイおじいちゃまでいらして下さい。
45周年おめでとうございます!
喜多嶋洋子【東宝の女優の内藤洋子】

ドカベン、45周年おめでとう。思えば加山とは色んな事がありました。大学2年に「カントリークロップス」というバンドを組み、ダンパやスキー、モーターボートとまるで映画の『若大将』のような学生生活でした。音楽に関してはとにかく頑固で完璧主義でしたね。「役者の暖簾を継いで役者になれよ。金をいっぱい稼いで船を造れ!」と、アサヒビールに内定していた加山雄三に俳優の道を選ばせたのは僕の無責任な一言でした。
70歳になる2008年は、バンド結成50周年。いつまでもお互い元気で!
峰岸慎一【若大将の学生時代からの大親友で文化放送の会長】


'05年の今年、加山雄三デビュー45周年で著名人から届けられたお祝いメッセージVOL:3

今年68才になられて45周年。では50周年の時は73才。55周年は78才。まだまだ行くぞ!! 65周年は88才。加瀬お前しつこいぞ!! と言われそうだからこの辺にしておくけど、この様に加山さんの活動は続くのです。それは無理だろう、と言われるあなた。無理ではないのです。なぜなら加山さんはある惑星からやって来たのです。ここだけの話ですよ。地球に住む人間とは違うのです。そうでなければあれだけ色々の事は出来ません。体力も持ちません。この事は加山さんご自身もご存知ないので内緒にしておいて下さい。
だから永遠に続くのです。ビバ! 永遠の若大将!!
加瀬邦彦

大学一年の時、僕の回りの音楽好きの学生達の間ではビートルズやベンチャーズ、ブラザースフォーやPPMなどが話題に上がってた。そんな中で誰かが「加山雄三もなかなか良いぞ」と言い出した。1965年の夏、僕は加山さんの四曲入りのコンパクトLPを買った。ブルージーンズの演奏をバックに歌う「君が好きだから」に僕はシビレた。
エレキサウンドを見事に取り込んだ素晴らしい作品だ。今聞いてもシビれる。あれから40年、加山さんは今もエレキを追及している。加山さんはホント凄い!!
鳥塚しげき

デビュー45周年おめでとうございます。類稀な才能と豊な精神・体力。「歌う映画スター」という枠には納まりきらない人・・・画家・作曲家・船長・スポーツマン・物理・天文学・海洋学に造詣の深い人・・・等々・・・こういうスケールの人が日本にいるものだナァーと、ただただ驚嘆しています。
ますますお元気な加山雄さん。これからも僕達の「Shining Star」として輝き続けて下さい。
植田芳暁

現在の僕は、僕自身芸能界に入るきっかけになったエレキギターを通して、ハイパーランチャーズとして最小でも月に一回、加山さんと一緒のステージに立たせて戴いています。芸能生活45周年と言う偉大な足跡は勿論ですが、加山さんは僕自身の子供の頃からの環境や趣味等でも共通点の多い、あらゆる面での憧れであり、夢であり、目標そのものです。どうぞいつまでも健かやかにいつも僕の前を堂々と歩き続けて下さい。僕はこれからもずっと加山雄三さんの背中を追いかけて歩いて行きます。
加山さん芸能生活45周年、本当におめでとうございます。
島 英二

想い出の渚
夕陽と共に
青空のある限り 
バラの恋人

加山さん、45周年ですか・・・おめでとうございます。我々アルフィーもやっと30年を過ぎたばかり・・・加山さんの足元にも及びません。多方面でご活躍、その多才ぶりにも感服致します。
トリビュートアルバム参加の時、歌わせて頂きました「夜空の星」は、我々のライブでのレパートリーで、いまだステージで歌わせてもらっています。
これれからも我々の偉大なるドンとして走り続けて下さい! いつまでもその背中を追って行きます。
エレキの若大将 加山さんへ。  永遠のギター少年  坂崎でした・・・。
坂崎幸之助

僕らにとって永遠のスーパーヒーロー、加山雄三! そんな加山さんと音楽番組で、何度も共演させて頂いたり、我々の武道館ライブに飛び入りで参加して頂いたり・・・、ほんと夢の様な事で、ミュージシャン冥利につきる・・・と思ったものです。
またニューヨークでコンサートをした時は何と、加山さんが遊びに来てくれたのです。感動しました。差し入れの"あんぱん"涙が出るほど嬉しかったなぁ・・・。
やはり今でも、そしてこれからも "加山雄三"は僕らのヒーローです!
桜井 賢

小学生の頃、ちょとでも大人になりたくて、鉄人28号を卒業したり、脱ゴジラ宣言したり・・・そんな中、僕らを夢中にさせるニューヒーローが現れた・・・! そう、若大将、その人だ!
スポーツ万能な俳優さんは数いれど、エレキギターを自在に操れるミュージシャン、絵筆を持てば、これ又立派な画伯先生・・・。世界広しと言えど、こんなスーパースター、他にいるだろうか。恐れ多くも僕は、そんな加山さんの曲に詞をつけたことが事があるのだ!!(もちろんCDにもなっております。「LOVE AGAIN」は生涯忘れられない1曲になりました。)
恐れ多いと言えば、もうひとつ。何とそんな加山さんに肖像画を描いて頂いたりもしまして・・・もちろんこの絵は、門外不出の我家の家宝でございます。そういえば、トリビュートアルバム参加の時に頂いたギターも大切にかわいがっております。
最後に、加山さんはゲームをしてもスゴ腕で、プレイステーションを、ご自分の車の中でも没頭されているのを見て、僕など絶対にかなわない人なんだ・・・と実感致しました。  加山雄三・・・足元にも及びません!
高見沢俊彦

メリーアン
シンデレラは眠れない
サファイアの瞳
木枯らしに抱かれて
夢よ急げ
悲しき墓標
君が通り過ぎたあとに
あなたがそばにいれば

シンガーソングライターであり、アクターでもある加山さんはまさに僕のお手本です。
音楽をやり、時に俳優もやる僕は「独自のスタンスですよね」なんて言われたりするのですが、「日本には僕なんかよりずっと前から素晴らしいオールラウンド・エンターテイナーが存在しています。それは加山雄三というアーティストです!」と答えさせていただいています。
これからも日本のオールラウンド・エンターテイナーの先駆者として僕の前を走り続けてください。
福山雅治


Squall
桜坂

もしも加山雄三さんが居なかったら、ヴァイオリン少年だった僕の未来に「シンガー&ソングライター」という選択肢などあり得なかった。辛いとき、加山さんの歌に支えられた。修行のためとはいえ、中学生の頃から一人暮らしの僕には苦労も多かったわけだ。十九年前に故郷への恩返しのつもりで始めた「夏・長崎から」という平和を考えるコンサートに加山さんが初めて来て下さったとき、僕はステージの袖で涙を拭いながら、あの苦しかった少年時代の僕に「未来を信じろ」と言ってやりたいと思った。
加山さんは僕の音楽の故郷だと思う。
さだまさし

バンドを組んで皆で合宿したり、ダンスパーティーを企画して好きな娘を誘ったり、夏はギターを弾いて大声で唄いながら車で海へ行き、冬はスキーを楽しんだあと皆で鍋を囲んで大騒ぎ。とにかく学生時代は田沼雄一の真似をした。芸能界に入って加山さんとお仕事をさせて頂いて、光進丸やライブハウスに誘って頂いた。加山さんはやはり田沼雄一だった。永遠の若大将だった。この"男として、人間として素敵な年の取り方"を、きっと俺はこれからも真似していくんだろうな・・・。
加山さん、45周年おめでとうございます。これからも沢山の夢を見せて下さい。
三宅裕司

三つの太陽の時代
日本のヒーローは伝統的に月光型です。どんなに強くても、影を背負って、アウトサイドを歩きます。決して道の真ん中を胸を張っては歩かないのです。だが、しかし・・・
歴史上ただ一度、太陽型のヒーローが誕生した時代があります。1960年代、つまり日本の高度成長の希望とともに、キラキラ光りながら登場し、日本人の精神性まで変えた三人のヒーローが、石原裕次郎と長嶋茂雄と、そして加山雄三、まさに一挙に太陽が三つも空を飾った時代だったのです。太陽は燃えてました。感謝です。
阿久 悠


'05年の今年、加山雄三デビュー45周年で著名人から届けられたお祝いメッセージVOL:4

加山さんは、とっても不思議な魅力を持っていらっしゃいます。それは、外見が素敵だとか、勉強がお出来になるとか、スポーツが万能でいらっしゃるとか、そうゆう事ではなく、何か謎の部分があってそれが普通の人たちには、全くといっていいほど多分理解出来ないものかも知れません。それが増幅されていく。加山さんの容積というか、キャパシティーは常人のきっと何十倍もあるんじゃないか、そう思います。
どんな大きなピンチも笑顔で乗り越えられてしまう、そんな強さやたくましさを加山さんの中に感じます。
加山さんとドラマやバラエティーでご一緒する度に、新たな魅力を発見する事が出来ます。
今度加山さんと共演する時にどんな新しい発見をさせて頂けるのか、とっても楽しみにしております。
森 光子

デビュー45周年、おめでとうございます。映画スターで歌手で作曲家、おまけに海が似合うスポーツ・マン。あの頃から加山さんは、私たち渡辺プロの女性歌手のあこがれでした。みんな加山さんのショーのゲストになりたいと、ひそかに夢見ていたんですよ。ようやくその夢がかなって、去年は"ミエとゆかりと若大将"というステージでご一緒できました。あいかわらず素敵なその歌声に、お仕事を忘れて、ついうっとり。「いつかミエちゃんぬきの二人のコンサートを・・・」、と夢見ているゆかりでございます。
伊東ゆかり

あの若大将が、もうデビュー45周年! こっちも年をとるわけよね。加山さんとは「リオの若大将」で、ブラジルまでご一緒して以来のおつきあい、去年は伊東ゆかりと三人で何十年ぶりかのコンサートをさせていただきましたが、声といいルックス(多少太めになったけど)といい、まあお若いこと! おばさんばかりが元気な今の日本で、ほんとうに貴重な存在です。
どうぞますますお元気で、おじさんたちの希望の星、スターとしてご活躍くださいませ。本当におめでとうございます。
中尾ミエ

加山雄三様 45周年おめでとうございます。
輝かしい芸歴を重ねてこられ、特に日本男性が云うことがでなかった、「しあわせだなぁ~」を照れくさそうに語って下さったことは、日本の全女性にとって、なんと嬉しい出来事であったことか!!
私の一番の想い出は、加山様ご一家がニューヨーク・カーネギーホールでのコンサートを聴きにきて下さったことです。偶然ニューヨークに来ていらして、姉とのコンサートを知り、駆けつけて下さったのです。本当に嬉しいことでした。
昨年は加山キャプテンコーストスキー場での、湯沢フィールド音楽祭でご一緒できましたし、これからも楽しいお仕事を積み重ねて下さいませ。
そして私も仲間に入れていただけるように、歌っていきたいと思っています。益々のご健闘を・・・。
由紀さおり

45周年おめでとうございます。加山さんがスクリーンで活躍されるのを拝見するにつれ、ほかのスターの皆様と違う印象を持っておりました。ギターも弾き作曲もされ、同じ音楽をする者にとって大変意識する存在でございました。そして、加山さんは『スター』というイメージを変えた人ではないでしょうか。それまでのスターは、周りがお膳立てをして自分はある意味何もしない。でも、加山さんは違っていました。スポーツも歌も全部一人でしてしまいます。
お会いして感じる事は、人を包み込んでくれる様なスケール感です。きっとそれは海を愛しクルージングで得た人間哲学なのでしょう。つらく苦しい時もおありだったと思います。きっと大きな海では、それがちっぽけな事に感じられるのではないでしょうか。だから、いつお会いしても終始一貫変わらぬ笑顔で接してくださいます。
最近おじいちゃまになられたと聞いております。お顔に刻まれたしわの一つ一つが、加山さんの財産であり素晴らしい人生を物語っている、そんな気がいたします。そして、加山さんがどんな素敵な晩年をお過ごしになるのか、大変な興味を持っております。いつまでもお体を大切になさって下さいませ。
堺 正章

昇る太陽、輝くアポロンのような銀幕のスーパースター加山雄三さん。デビューから45年、波乱万丈の人生の大波荒波を見事に乗り越え、輝く青春のスーパースターとして、私達にいつまでも永遠の青春を見させてくれる。
海の男としても、雪山を颯爽と滑り降りるスキーヤーとしても・・・大自然のなかでこれほど様になる男はいない。 君よ夢いつまでも。
三浦雄一郎

加山さんの歌「僕の妹に」がドラマ化され妹役で私は共演させていただきました。稽古初日リハーサル室に加山さんが到着するや否や、かかってきた国際電話に英語で流暢に話していらっしゃる若大将の存在感に圧倒された私でした。
加山さんの控室からは音楽が流れ、海や船のことを熱く語る加山さん、撮影中、加山さんが私の後ろ姿を見て、何やら笑っていらっしゃるので振り向くと、「足が短いなぁ」と、おっしゃったのでした。うら若き私は絶句してしまいましたが、ベットに腰掛けながら芝居をしているお兄ちゃん(加山さん)の足元はつま先立ち、かかとが宙に浮いているのを私は見逃しませんでした。
我等、短足兄妹。明るく、自然体に妹役を演じさせていただけたのは、加山さんのお陰と感謝しています。
中田喜子

加山雄三さん 芸能生活45周年おめでとうございます。
私が物心ついて映画館に足を運んだ頃、貴方はもうすでに銀幕のスターでした。
そしてそのうちギターを弾き、歌でも数々のヒットを飛ばし、スキーもプロ級の腕を誇り、何をやってもカッコ良い憧れの存在でした。
まさか、レコーディングやステージで御一緒出来るなんて夢のまた夢でした。とりわけお父上に捧げる「ピアノ協奏曲」を作曲された際に、日本武道館でピアノ演奏する大役を仰せつかった事は、ピアニストの私としても多大な喜びでした。
いつもハチャトゥリアンのビアノ協奏曲の出だしの部分を遊び弾きしているのを見て、「君といつまでも」の弾厚作が何故近代ロシアの作品を?と不思議に思っていましたが、聞けば湘南の家のすぐ傍に、クロイッァーという世界的なピアニストが住んでいて、幼少の頃から彼の練習する音を聴きながら育ったとの事。
クラッシックの素養を隠し味に、沢山作り上げた国民的歌謡曲の数々。 加山雄三さんの歴史は、そのまま我が国のポップスの歴史と云えるでしょう。
羽田健太郎

どうしてあんなに若くいられるんだろう!? 分からないわけでもないのだけど、それにしても若い!?
何をするにも負けず嫌いの加山さん。船にスキーにグルメ、そして、絵と、異常なまでに打ち込む姿・・・
また、いとも簡単にスタンダード・ナンバーをさらりと唄ってしまう加山さん。心から尊敬しています。これからも、どんどん闘争心のボルテージを上げて、僕たちを引っ張っていってください。45周年おめでとうございます!
日野皓正

加山雄三さん45周年おめでとうございます。
加山さんの姿をスクリーンで初めてみた中学生の頃、こり世の光を一身に1人で浴びているようなスターでした。
のちに芸能界にに入ってから、ただひとつ誕生日が一緒ということだけで、優しいまなざしを向けて頂いています。お話をすると、言葉では説明できないほど沢山の素敵なお話して下さいます。お会いすると本当に元気になります。身近で振り返ってくれるような雰囲気があり、加山さんのような兄がいたら・・・・・・と思うこともあります。
加山雄三という人を見ながら年月を重ねてゆける後輩の私たちはとても幸せです。
武田鉄也

いつお会いしても、豪放磊落で変わらぬ若さを維持していらっしゃる加山さん。そこに"映画スター"の匂いを感じてしまいます。「翔ぶが如く」では、島津斉彬公の加山さんとご一緒させていただきました。
島津斉彬は、西郷にとって目を世界に向けるきっかけを作ってくれた大恩人。斉彬の世界を見据える目線は、大海原で水平線を遠望している加山さんと全く同じでした。前半のヤマ場で、死の直前の斉彬から教えを乞うシーンは今でも忘れられません。目の前の斉彬公と加山さんが何度も重なり、僕にとっての斉彬は加山さんなんだそう思いながら演じておりました。でも加山さんはそれをきっちり受け止め立ち向かっていきます。"加山雄三はそこにずーっといるぞ"そんな素敵な生き方をいつまでも見せて頂きたいと思っております。
西田敏行

著名人から加山雄三に宛てたメッセージを4日間に渡り書いてきました。未だまだ多くの方からのメッセージがありますが、この辺で終了させて頂きます。
明日は、「加山雄三の楽曲」を数々創り上げた最強の黄金トリオ、岩谷時子(作詞家)、森岡賢一郎(編曲家)、弾 厚作(作曲家)こと加山雄三からのメッセージでファイナルとさせて頂きます。

'05年の今年、加山雄三デビュー45周年に際して加山雄三からファンの皆さまに宛てたメッセージ

加山雄三デビュー45周年記念メッセージの最終章

岩谷時子、森岡賢一郎が語る「加山雄三と私」と加山雄三からファンの皆さまに宛てた心温まるメッセージ。

加山雄三さんが東宝へ俳優として入られる数年前に私は東宝本社の文芸部へ入社しておりました。
上原謙さんの御長男が大学を出て東宝へ来られ、すてきな青年だと評判になっていたも、撮影所は世田谷の砧。私のいる本社は有楽町ですからお目にかかる機会も長いあいだ、なかったと思います。そんな時、森谷司郎監督から突然、電話をいただきました。
「加山君っていうのがスタジオのなかでギターを抱えて英語で作詞作曲して、なんだか歌っているのだよ。ほんものかどうか音楽監督の広瀬君と撮影所の昼休みに来てよ」とのこと。
広瀬監督とバスで撮影所へ行き監督室へ入ると間もなくドアをノックする音が聞こえ、森谷監督の「入れ!」と共に「ハッ」と兵隊のような声がしてギターを抱えた加山さんが現れました。
正に御行儀の良い学生で、紹介もされぬまま、今度は「弾け!」の号令で加山さんは一礼するとギターを抱えて英語で歌い出されました。気持ちの良い、自然に人のハートにふれる声と歌でした。
歌が終わるとすぐ「わかった、帰れ」の命令で「ハッ・・・」と又、一礼して彼はスタジオへ消えました。
「若大将」に歌が入る事が決まった瞬間です。 その日と同じ気持ちで今も私たちは歌を作っています。
音楽に対する歓びも哀しみも畏れも変わらず時をすごしています。私は幸せです。
岩谷時子

加山雄三さんデビュー45周年おめでとうございます。
「恋は紅いバラ」「君といつまでも」にはじまる加山さんとの仕事は 本当に楽しく音楽家冥利に尽きるものでした。 何しろ混成合唱と大編成のオーケストラでやれたのですから。
当時フジテレビの「ザ・ヒットパレード」の音楽を担当してアメリカンポップスやイタリアのカンツォーネなどをアレンジしていた私は、加山さんののびやかでロマンチックな素晴らしいメロディーを聴いた時、これはカンツォーネの8分の12のリズムでいこうと直感しました。
加山さんのメロディーとそれがぴったり合い岩谷時子さんからの素晴らしい詞で見事に大ヒット! 以来このトリオで沢山の作品をつくりました。
加山さんのペンネーム弾厚作が、加山さんが尊敬する日本の大作曲家團伊玖麿と山田耕作にあやかっていると聞いた時、團先生は私の恩師であり、何か不思議な縁だと思いました。
これからも素晴らしい曲を作って下さい。 益々のご活躍を期待してます。
森岡賢一郎

1960年にデビューして45年、思えば色々な事がありました。
「若大将」や「君といつまでも」の大ヒットのおかげで、順風万帆だった60年代。
黒沢明監督との出会いもあり、こわいもの知らずでした。
ホテルの倒産、最愛の母の死、再起不能といわれた大事故・・・どん底、冬の70年代。
支え続けてくれた妻と永遠の愛を誓い、長男も誕生しました。
そしてそんな時も応援してくださったファンの皆さまには本当の"感謝"を感じました。
振り返れば80年代そして90年代は、
ゆっくり過ぎる時間の中で一人一人との出会いを大切にしながら自分のペースで歩めた気がいたします。
この頃出会った絵は今ではライフワークになっていますし、エレキギターに20数年振りに再会したのもこの頃です。
そして、21世紀。つらく苦しい時期もありました。たくさんの別れもありました。
でもそれ以上に、素晴らしい出会いが僕を支えてくれたのです。
仕事、先輩、仲間、妻、子供たちそして何よりも多くのファンの皆様。
いつも、どんな時も、暖かい拍手で僕を励ましてくださいました。
本当にありがとうございます。"会えてよかった"そう実感しています。
これからは、自分が出来る仕事をもう一度精一杯やってみたいと思います。
健康も考えながら、それでも走り続けていたい。ファンの皆様と共に・・・。
加山雄三サイン

若大将といつまでも
ブラック・サンド・ビーチ
夜空の星
蒼い星くず
お嫁においで
君といつまでも
旅人よ
夕陽は赤く
夜空の星
海 その愛
僕の妹に






© Rakuten Group, Inc.